池井戸潤『鉄の骨』講談社

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 談合を考えるにあたって、ここはゆっきーらしく(^^)補助線を引いてみます。

 『鉄の骨』という本はこの作品で直木賞の候補にもなった池井戸潤さんの本です。三菱銀行出身の人だけあって、銀行から見た中堅ゼネコンの記述にはなかなかリアルで読ませるものがあると思います。

 NHKのドラマにもなっていて、あの『ハゲタカ』よりも断然こっちがいい!という声が結構ネットにはありました。放送を見てなかったのですが、DVDとかあるのかなあ・・・

 出だしはこんなお話です。

配属先は、談合課だった。

2005年、一谷組に勤務して3年目の富島平太(小池徹平)は、突然の異動により土木部営業一課に回される。そこは大手ゼネコンの代表者が集まり、公共事業の割り振りを調整する「談合」が仕事だった。平太は違法行為である「談合」に抵抗を感じつつも、巨額プロジェクトの受注、会社の命運を握る仕事にやりがいを見出していく。


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 小説の冒頭で、富島平太の業務課(談合課と揶揄自嘲される)の先輩が平太に言うセリフです。ダンピングしてでも、最低価格ギリギリでなりふり構わず無責任に受注する悪徳業者が増えて困るのは、結局発注者である役人だという理屈です。

「だがな、予算の執行をしなきゃならない役人にとって最もマズイ事態は、金だけ払って工事が完成しないということなのよ」

(中略)

「どうなるんですか、そういう工事は」

「どうもこうもねえよ」

西田はこたえた。

「結局予算が足りなくなっちまうだろう。たぶん役所の担当者が個別にどこかの会社に頭を下げて赤字でやってもらうって話になるわけだ。役人にしてみれば、おのが人事に響く大失態ってわけよ。押し付けられたほうこそ、いい迷惑だぜ」

 一方萌の勤務先の園田は、恋人平太の心情的味方である後輩の萌に対して、銀行員の先輩としてこんなことを言います。実は先輩は萌のことが好きなのでよけいにこういうことを言いたがるというのもあってなかなかの見どころです。
 萌は萌で、こうした物言いをする先輩にだんだんと惹かれていき、談合を是とする平太には次第に言いようもない距離感を感じていくというそんな背景があります。
 銀行員として社会人としての自分を確立していく萌にとっては、その自分を確立していく過程がすなわち、談合を恋人平太の視点ではなく、銀行員の立場から見るように変質していくことであり、それは取りも直さず、園田の視点で男性平太を見るようになっていくという女としての心情的な転換を伴うものとなるわけです。

 うう・・悩ましい(ーー;)


「でも、工事を落札した会社が、仕事の途中で倒産したら結局、迷惑するのは一般の人達じゃ・・・」

「そういうのは妄想だよ」

 園田は決めつけた。

「まず、巨大工事の入札企業は大手が中心になるからそれはありえない。倒産が心配なのは、入札が小さな公共事業が主体だ。たとえば、駐車場の整理とか、ごみ収集とかな。そんなもん、落札企業が途中でポシャっても変わりはいくらでもいる。道路工事を請け負った会社が途中で倒産したところで、道路がなくなるわけじゃない。すぐに後続の企業が指名されて、受注単価は安いかもしれないが仕事は引き継がれる。つまりさ、そういうのは談合を正当化するための方便みたいなものなんだよ」

 さて・・・

 どっちが正しいのでしょうか・・・

 それはこの引用だけだと明らかですが・・・

 果たしてそうなのか・・・?

 建設、建築という生命や安全に直結するものものが、競争原理だけで責任ある仕事として完全に成立するのか?していいのか?という声も談合バッシングの影で有識者からも根強くあります。

 このあたりを絡めながら談合と利権について考えを進めたいと思います!