野口悠紀雄『1940年体制(増補版) ―さらば戦時経済』東洋経済新報社

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1940年以前の日本企業はまるでアメリカ企業だった?!

さて、野口先生のご本は理論的で歴史的な考証も緻密なので、ゆっきーのぶっちゃけ方式で行きまーす。

 現代の日本企業は、直接株の発行や債権の発行をして資金を集めることが増えたとしても、依然として間接金融、すなわち銀行主体で資金をまかなっていると思います。

 じゃあ、1940年で日本という国はガラっと変わったのなら、それ以前はアメリカみたいに大金持ちの資本家や大企業の金持ち社長が会社を統治し、会社は家族的な共同体ではなくて株主の利益追求のためのものであって、資金の調達も株式や債券を通じて行っていた?

ズバリ!
そうなのです!

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株式投資の話以来久しぶりに登場しました、丸尾くん(笑)。
経済の話が好きなのかもしれません(ーー)では丸尾くんに野口悠紀雄詩の本を朗読してもらいましょう。

「日本の企業は、経済学の教科書にあるような株主のための利潤追求の組織というよりは、むしろ、従業員の共同利益のための組織になっている。これは、日本の文化的・社会的な特殊性に根ざすものだと説明されることが多い。」

しかし!

「しかし、戦前期においては、日本でも経営者は会社の大株主であり、企業は株主の利益追求のための組織だったのである。それが大きく変わったのは、戦時体制下である。1938年に「国家総動員法」が作られ、それに基づいて配当が制限され、また株主の権利が制約されて、従業員中心の組織に作り変えられた。これによって、従業員の共同体としての企業が形成されていった」

                        『1940年体制 ―さらば戦時経済』p7


おっとっと。

なんと、家族的で温かい日本的経営は、悪の権化、悪の法制化そのものみたいに言われている「国家総動員法」によって成し遂げられたそうです。そうするとあの法律自体も悪いばかりじゃないのでしょうか・・・

それでは、これはゆっきーが野口大先生の労作のポイント5つを勝手に一つに絞り込みました(すいません)ところの間接金融とどう関係があるのでしょうか。

「配当が制限されれば、当然株価は低下し、株式市場からの資金調達が困難になるからである」
同書p8


米国的経営⇒国家総動員法⇒日本的経営⇒間接金融

なんとも驚愕の共通項!

そしてこれは高度経済成長を支えた1940年体制の根幹部分の生成の瞬間でもあるのです!こうして銀行主導の間接金融体制が始まりました。

たしかに、これ1つだけでは1945年よりもすごいとは言い切れませんが、戦後企業の実質的な経営行動のパターンはこの流れで決定されたと言えるのかもしれません。

国家総動員法は個人の自由を奪うものだという側面ももちろんあったのでしょうが、国家や国民全体の利益よりも企業、及び株主の利益を優先しようとする大資本を牽制するという意味合いもあったということになるでしょうか。

つづく