小林英夫 米倉誠一郎 岡崎哲二 NHK取材班 『「日本株式会社」の昭和史―官僚支配の構造』創元社

$ゆっきーのエッセイブログ

計画経済の系譜学

前回戦時経済体制の骨組みとして長期的統制計画経済を可能とする間接金融の確立を探りつつ下記の流れを整理しました。

所有と経営の分離革新官僚大政翼賛会⇒間接金融⇒軍需省

 この連載エッセイでは、思いもかけずたくさんの恐れ多いレベルのコメントを頂くことになり、長らく?(ハテナ)な女の子と思われながらも(爆)小説ブログ含めこれまで自分なりには気合を入れたブログを書いてきてよかったなあと感涙にむせび泣く連休でありました(T.T)。

 そこで得ることのできた刺激の力を借りて、今回はより深くその歴史の思想的バックボーンとして脈々と流れている計画経済の系譜学について、別の本をたよりに考察してみたいと思います。

 わざわざ「系譜学」なる言葉を冠したのは、私の先生の(勝手に)ニーチェをもちろん意識しているのですが、ここではニーチェの系譜学の最も深いレベルでの方法的継承者、ミシェル・フーコーさんの歴史の実証研究についての至言お借りします。

「絶対的にさかのぼった点、あらゆる実証的認識に先立つ点として、起源こそは知を可能としてくれるものであろうが、その知の方は起源を覆い隠すことになるのであり、その饒舌のうちで絶えず起源を誤認することになるのである」
 ミシェル・フーコーニーチェ、系譜学、歴史」ちくま学芸文庫 『フーコーコレクション3』p355

 1945年が戦後の起源とする考えから、1940年を起源とする考えが妥当ではないかと考えを進めてきたわけですが、一度その認識のパースペクティブが確立され始めると、確かに1940年はあらゆる戦後体制の始まりのように見えてきます。

 しかし本当にそうかどうか、もう一度その起源を問うてみるとします。

 我々の母は希望に満ちて過去と決別した潔い1945年ではなくて、暗く記憶の中に隠蔽したいあの戦時統制経済である、これだけでもなんだか、最初はゲンナリですが、もうちょっとげんなりして、我々の本当の母親は、スターリンの世界初の計画経済である「ソビエト連邦第一次五ヶ年計画」である

 という仮説を新たに検討してみたいと思います。

 考察の枠組みとして以下を組み立てました。もちろんそれは起源の問い直しの過程で揺さぶられるわけですが、とりあえずの遠近法として提示します。

ソ連第一次五ヶ年計画⇒満州国産業開発五カ年計画⇒大日本帝国五カ年計画(幻の石原莞爾草案)⇒池田勇人所得倍増計画


では、稿を改めて!('-^*)/