野口悠紀雄『経済危機のルーツ ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか』東洋経済
純粋な市場経済と言えない国の方がなぜ成功したか〜経済学の試練の時代
さて、日本とドイツがかなり戦後経済体制が共通していることがわかりました。そしてそれを支える人材が戦前のエリート中心であることも確認しました。
そして両国とも戦後の混乱期を経て驚異的な経済成長を達成します。本書から引用してみます。
「西ドイツは、49年から58年にかけて目覚しい経済成長を実現した。英紙タイムズは、50年にこれを「経済の奇跡」と読んだ。50年から10年間で、西ドイツの実質工業生産は約3倍になった。日本の高度経済成長が始まったのは55年(昭和30年)である。太平洋沿岸にコンビナートが次々と建設され、日本の風景も人々の暮らしも大きく変わった。50年代と60年代の20年で、日本と西ドイツはそれぞれ世界第2、第3の工業国となった。」
野口悠紀雄『経済危機のルーツ ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか』P27
そして、冷蔵庫、洗濯機、テレビの三種の神器が個人消費を牽引した65年から70年にかけて57ヶ月続いた「いざなぎ景気」の中68年には日本は西ドイツを抜いて米に次ぐ世界第2位の経済大国となったのである。
そして、敗戦の焦土の記憶は遠のき、もう過度な成長はよそうといったムードの「くたばれGNP」という連載が朝日新聞紙上で始まりました。公害や自然破壊、サラリーマンの働き過ぎや地方の過疎化など高度経済成長のマイナス面に焦点をあてて1968年から全18回、5カ月に及ぶ大型シリーズだったそうです。
その後試練が訪れます。
いうまでもなく二度の石油ショックです。若輩者のあたしがいうのもなんですが(すいません)、日本人は結構すぐにうれしくなったり悲観的になったりする所がありますので、1973年にはこのような本が大ベストセラーになったりしました。
くたばれGNPはどこいっちゃったんでしょうか(ーー)
油断していました。油が絶たれてしまったら燃料資源のない日本は沈没してしまう。世の中は一気に終末モードなってしまいました。
が、日本もドイツもこれをなんとか乗り切ってしまいました。
この頃から下記にようなことが言われ始めました。
「「日本と西ドイツが石油ショックに対して適切に対応できたのは、その特異な経済システムのためである」とする考えが、70年代以降強くなった。日本や西ドイツの経済システムは、アメリカにおけるような市場中心的なものとはかなり違う。とくに日本における企業のあり方は、株主の影響が強く働くアメリカ式の企業とは異なる」
「すなわち、「日本では、企業は株主のものというよりは従業員の共同体である側面が強く、労働組合は企業別に組織されている。したがって、労働者は賃金の引き上げよりも会社の存続を優先して考える。船が沈没してしまえば、元も子もないからだ。このため、日本の労働組合は、イギリスの組合のように戦闘的な賃金引き上げを要求することはなかった。イギリスで導入が検討され、実際には導入出来なかった『所得政策』が日本では自動的に実現された」というのである」所得政策はこちらhttp://goo.gl/Ch7Pc(ゆっきー注釈)
野口悠紀雄『経済危機のルーツ ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか』P51
エネルギー価格の上昇が賃上げ闘争に発展するコストプッシュインフレに英米は苦しんだわけですが、日独は純粋な市場経済と言えない労使協調型の経済行動により、これを回避したのです。
さて、表題です。
純粋な市場経済と言えない国の方がなぜ成功したか〜経済学の試練の時代
経済学はこの問題にどう応えるのでしょうか。
続きます!