江上剛『我、弁明せず』PHP文芸文庫



前時代的な経営者?金子直吉 

再び三井銀行常務室から生中継です(^^)。

鈴木商店さんの商売のやり方を見ておりますと、ちょっと心配になってくるのです。どういう心配かと申しますと、何でもおやりになり、手を広げすぎのような気がするところです。金子さん、あなたのところは塩、ビール、砂糖、マッチなどほんとうに色々な事業をおやりになっているが、あれはどういう仔細があってのことでしょうか?あなた一人の力では、もはや全てを把握することはできないのではないかと思うのですが・・・」 

 池田成彬は、初対面なのにいきなり高飛車に出る横柄な銀行かと思われはしまいか気にしながらこのように言います。 

 つきあいが長く、神戸支店に対して鈴木商店への融資をだんだん絞るように指示していながらも切ることが出来なかった三井銀行

 このとき成彬は鈴木グループの企業戦略、グループ戦略をトップの口から聞きたかったわけです。

 さてそれに対して、直吉の答えは・・・

「ご心配には及びません。それにはこんなわけがあります。ビール事業を始めたのはお世話になった税関長さんがおやめになって、なんとかせな、ならんかったのです。お世話になっておきながら放っておくわけにも行きませんやろ。マッチ事業は、うちの当主鈴木ヨネが舞子で博打を打って捕まったときに助けてもらった裁判官がおやめになったので、その人に仕事を与えな、ならんかったのです。決して私が好き勝手にやっておるのじゃありません。それぞれ事情がおおありなんですよ」 

うーむ・・・。 

どっかの二代目のボンボンが、お金持ちの親戚のおじさんのところにお金をむしんに行ったみたいな会話になってしまいました・・・。 

 直吉のこの答えに対する池田の返答は、もちろん融資打ち切りです。

 経営者としても信用出来ないという判断が決め手です。 まあ、経営戦略について水を向けられてこの回答では、当たり前といえば当たり前かもしれないです。

 でも・・・ 

 腑に落ちないのは、いくら叩き上げの苦労人だからといって、これを全部額面通り叩き上げベンチャーの限界としてとって良いものだろうか・・・。

 もちろん、こういう会話はありました(江上剛さんは間違いなく池田成彬の自著『財界回顧』からとっている)。 

 しかし、この言葉だけ取り出してみると、あまりにもあっさり、同情の余地なし!で全部終わってしまう。 本当にそうなのかな。いくらなんでも、三井を凌駕する企業グループを作り上げ、三井三菱と自分の会社とで天下三分の計とするのがよい、などと大まじめに発言していた人の言葉とはにわかに信じがたいと思うのは私だけではないような・・・。


 このトップ会談はどうも、やるだけいろいろやったけどうまくいかず、もうやけくそで、なんとしても融資を引き出そうという乾坤一擲の気合はまったく入っていなかったのではないか、と思うのであります。 

 政府や、財界にそれこそ八方手を尽くしまくって最後のここに来ているので、もう、最後は綺麗事はどうでもいい!おれの本音、経営哲学はこうなんだ!文句あるのか!みたいに言ってるようにも取れなくもないのです。 

 実際に金子は苦境の中以下のようなことを口にしています。

「国がやらねばならないことを鈴木がやったのだ。大戦中には十五億もの外貨を獲得し、我が国を債権国に押し上げた。難しい日米船鉄交渉をまとめ上げ、造船、海運、貿易を救った。国がやるべきことを鈴木は代行し、傷ついたのじゃ。一時を凌ぐために融資が必要なのだ。五千万円あればいい。国には鈴木を救う義務があろう」
                               山岡淳一郎『成金炎上』日経BP



 江上剛さんが描写する、どっかの落ちぶれた敗残者とは違うイメージも直前まで濃厚にあるのです。

 そこで、絶頂期の金子直吉と三井財閥、さらにあの時代についてもうすこし詳しく書いてみようと思います。 

つづく