山岡淳一郎『成金炎上』日経BP社

$ゆっきーのエッセイブログ

 小説ブログの方で「あ〜いま書けそうだから沢山書いとこ」状態になってまして、こっちが疎かになってました。あはは〜。アマチュアは気楽でいいな(^^)

 こっちで皆さんに見てもらうこと意識して調べ物したり、貴重な(ほんとに貴重な)コメントいただいたりして小説ブログと相乗効果のサイクルがいつも出ていてるので、こちらも更新しよう!・・・と。

 あっちもよろしくね!

文学していたゆっきー「音の風景」

 前回「政界、財界をリードする金子直吉 と 重大なアキレス腱」としまして、当時の鈴木商店金子直吉の金融ビジネスへの視点がややおろそかだったのではないかと推測してみました。

 今回はこれをもうちょい突っ込んで書きたいと思っていたのですが、力足らずブログ原稿のメモを載せておこうかと。

 著者が当時の金融機関の威力をどう捉えていたか抜粋してみます。

 直吉さんは、この金融権力のものすごさを少しなめていたと言うか、捉え残っていたのではないかということを書きたくて準備してました。



「マネーは「支配の道具」になる。ひとを動かし、ひとを縛る暴力性を備えている。その権力を手にしたものは、贅沢の限りを尽くしても、「もっと富が欲しい」「もっと社会を支配したい」と求め続ける。生理的な飢えとはは関係なく、欲望はどこまでも膨らむ。」


「金が金を招くところに、その魔力は潜んでいる。故に資本は自己増殖する」


「資本が生産手段と労働力を結びつけて新しい価値を生み、需要を満たしている間はいいけれど、ブレーキの聞かない資本はやがて過剰となる。資金の貸し借り(信用)が膨張し、投機で相場は高騰する。ものがあっても消費が出来ず、市場が壊れ、恐慌が起きる。マネーの暴力性は、経済の存立基盤である市場に牙をむく。」

                山岡淳一郎『成金炎上』日経BP社 P184


 現代のアメリカの金融権力を検討するときにも同じような視座でこの権力が見えてくるのではないかなと思ったりしました。



 ではでは〜

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