佐々木俊尚『ライブドア資本論』日本評論社

$ゆっきーのエッセイブログ

ホリエモンとは誰だったのか


 さて、本山美彦さんと野口悠紀雄さんの金融論を比較する前に、すこし具体的なイメージを補助線としてひいておきたいと思います。

 ホリエモンさんでーす(^^)。

 裁判も結審し、みそぎ中の堀江氏をめぐっては、これまで数えきれないほどの議論があり、いろんな論点はすでに全部出尽くしたかに見えます。

 しかし、そうは言っても、気鋭のITジャーナリストのこの一言だけは古びていないと思うのです。

「人々がホリエモンを語る姿というのは実のところ、「わが内なるホリエモン」をかたることになっていたのである

佐々木俊尚ライブドア資本論』日本評論社P11-12

第1章 新しい「資本市場主義時代」が見えてきた―攻防!ニッポン放送の140日
第2章 日本経済「焼け跡」世代、堀江貴文
第3章 ニューエコノミーに浮き、ネットバブルに沈む―ポスト産業資本主義革命とIT企業
第4章 ノーカリスマ、ノーワンマン―ライブドアと堀江経営
第5章 堀江という「踏み絵」―ライブドアは何と闘っているのか?
第6章 ネットとメディアは「融合」するのか

ライブドア堀江貴文が出現してきたのは日本社会の歴史的必然であり、彼らは日本経済が迷走の末に産み落とした赤子である。(中略)この驚くべき会社と驚くべき人物は、いったいどのような理由で日本社会に生まれ、何をもたらそうとしているのか。その「意味」を全面的に解き明かそうと考えたのが、この本の執筆動機である。」p12-13


 と、明快に本書プロローグで著者のスタンスが示されています。

 つまり、堀江騒動を堀江という「踏み絵」(第五章)という点から捉え直しているわけです。

 

 そんな踏み絵など関心もないという人も多いと思います。信者かその周辺の人にしか、踏み絵などという時代がかったものは確かに縁のないものでしょう。

 騒動が落ち着いた今日ではその通りだとも言えそうなので、そこで、ゆっきーは別の言葉でこのことをいいたいのですが、
それは地雷です(笑)。


 今当時の文献や映像などを見てみても、彼の挑発的な行動は、日本社会に執拗に地雷を撒き散らしていたように見えてしょうがありません。不発弾としてすぐには爆発しないものも含めて、その地雷を執拗に撒いて、良識のある人にそのたびに「想定内」の顰蹙を買いまくっていた姿には、なんで?という素朴な疑問がわきます。

 騒動で被害に合われた人には怒られそうですが、それは日本経済をおもちゃにしたということはあるにせよ、ある種の確信犯だけが持つ、なにかしら求道的ですらあるような、内容はわかりにくいが明瞭な一貫性のあるメッセージが見え隠れする、と個人的には思うのです。

 
 おっと、すでにホリエモンを語りながら自分を語り始めそうになってしまったので(〜〜;、しばらく本書を読み進めたいと思います。

 踏み絵は関心がなければ踏まなくてもよさそうですが、もしそれが日本経済に埋め込まれた地雷であるとするならば、ホリエモンに関心のない人にも多少は関係あるかも・・・

爆発したり、不発弾であったり、そしてぶーぶークッション(爆)だったりといろんな地雷がありそうに思えます。



 つづく