相原博之『キャラ化するニッポン 』講談社現代新書

$ゆっきーのエッセイブログ


 直球が続いたので、ちょっとカーブでも投げてみようと・・・宮内亮治元CFOが高校球児だったからというわけではないですが、変化をつけてみようかと・・・


 序章で著者は次のように書いています。

「最近の若者達は、本来の自分の内面とは別の、表層的な「キャラ」によってしかコミュニケーションできなくなっていると言われる。グループ内で他の構成員たちから決められた「〜キャラ」というラベルが事実上のアイデンティティーになっているのだ。」
 

              序章 日本中で「キャラ化」現象が起きている」

                   
 一見ライブドア事件とは関係なさそうなのですが、これを翻案してみます。


「最近の新興市場の上場企業は、本来の事業の目的とは別の、表面的な時価総額によってしか経済社会と関係が結べなくなってきているように見える。投機的な市場で決められた「○円高」というラベルが事実上のアイデンティティになっているのだ」

 とやってみますと、ホリエモンというキャラは資本主義での新興企業の煽られ方と似てなくもない、というかそっくりに思えます。


 再び著者の引用です。

「この恣意的で、表層的な「キャラ・コミュニケーション」は、一見エンタテインメントのようなものにも見えるが、実際はグループ内でキャラづけしてもらえないと、自らの居場所=アイデンティティまで見失ってしまうとも言われるほど、彼らの人間関係に重大な影響力を持つに至っている」


「「堀江貴文」という「生身の私」が「ホリエモン」という「キャラ」に変異することで、一躍時代の寵児となったように、「キャラ」は本来帰属するはずの「生身の私」から乖離して一人歩きし、やがては、それを飲み込むまでに肥大化しさえする」

                相原博之『キャラ化するニッポン 』講談社現代新書 p11
 


 うーむ。

 やはり似てると思う、というか本質的に同じ気がする。


 涼しい顔してアプレゲールのようにやっていただけじゃなくて、株価をあげろーーーとまるでクラスのいじめを受けるように株価を上げるキャラを演じていた・・・と見るのも、面白がってるわけじゃなくて、案外現代の資本主義、株主資本主義という学校の教室での彼の俳優(というかいじられ専門のお笑い芸人か)たらざるを得なかった実態ではなかったんだろうか・・・

「キャラ」は本来帰属するはずの「生身の私」から乖離して一人歩き

 って、株主資本主義の企業が、本来の会社という場所から乖離してどんどん一人歩きしていったのと似てるように思えます。


事の本質がホリエモンのキャラ、だけだとしたら、自業自得、もしくは経営者失格で話はオシマイなんですが(そして私が眼にした論調は99%そういう論調だ。だからからつまらん〜、いや・・・つまらんというよりそう簡単に物事片付けていいのだろうか)これが現代の資本主義社会の、本質的で必然的な要請であり、それにあまりにも無防備に反応しちゃったのがホリエモンだとしたら、また違った見方もできるのではないかと思います。
 

 エッセイブログしばらくおやすみしてましたが、またゆるゆると、このあたりをもう少し掘り下げたいと思います。
 

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