岩井克人『会社はこれからどうなるのか』平凡社ライブラリー

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人造人間は法人実在説の夢をみるか?

さて、では先へ参ります(^^)/

 前回のおさらいですが、株主という存在は、ただ単に会社の重要な行為に関する議決権を有しているに過ぎない、これを別サイドから言い換えれば、会社資産の所有者は人間様ではなくて会社というヒトが所有しているということになります。

 岩井克人さんは経済学者ですが、文筆家としてもなかなか唸ってしまうような深遠な文章をお書きになりますが、その先生はこんなふうにこの不思議な事態を描写してます。





「法人とは摩訶不思議な存在です。それは、本来 ヒト でないのに法律上 ヒト として扱われる モノ として、まさに ヒト であり モノ であるという二重性をもっているからです。」

岩井克人『会社はこれからどうなるのか』P147





 ものとしての法人は、人間様(真性のヒト) モノ のように支配されますが、いっぽうでヒトとしての法人(人造人間といいたい!)は、文句なしの モノ である会社の資産を所有します(スーパーマーケットの食材など)。






 ヒト  ヒト を所有できず、 ヒト  ヒト によって所有されない。
---------これは近代社会の原則です。 ヒト  ヒト を所有していれば、それはドレイ社会にほかなりません」

岩井克人『会社はこれからどうなるのか』P162


 

お!なんて明快!

 でもそれってあたしにとっては楽しい(爆)人造人間が主役の世界ですけど、ある人(まともな人)にとっては気持ち悪いのじゃないでしょうか(ーー)。


それには続けてこのように述べておられます。





「欧米の文化において、とりわけ個人主義的な色彩の強いアングロ=サクソン文化においては、本来 ヒト でない モノ  ヒト として扱う法人に対して、近代の精神に反した気持ちの悪い概念であるとして、強い抵抗がありました。」

岩井克人『会社はこれからどうなるのか』同ページ




うー。むべなるかな・・・。



そして強い法人がM&Aなどによって次々と弱い法人を支配する、これはまだ気持ち悪いけど、分かる話だ。

しかし・・・そうじゃなくて・・・

 

ズバリ!
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人間社会がこの絵のとおりだったら、さすがのあたしも気持ち悪いでしょうーーー

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株式会社という制度が、その増殖性を最大限発揮する、持ち株会社、戦前の日本の財閥や現代の金融グループのような、個々の人間の手を離れて、もはや不気味で巨大な人工的な意思を持つ(まるでこの表現は人造人間の描写だ)企業集団を考えてみてください。


 個人や個人の商店の集まりというのは影響力としてたかが知れてる。

 そうではなくて、経済社会はおろか、文化政治を含めた人間社会全体を覆うようにその支配体制を強固にしながら近代を踏み台にして現代の主役に躍り出てきたのは、個人の資産家ではなくて、まさにこの近代の精神に反した人造人間的(!)行為主体である人造人間のソサエティではないでしょうか。

 現代の経済社会を見渡すと、人造人間が増えたどころか、人造人間同志がかなり結託して意思の疎通をもっと円滑に、そして強固にしていると言えないでしょうか。

 具体的な契約関係はもちろんのこと、コンピュータで結ばれた現代の金融システムというのはまさにこの人造人間社会の毛細血管のように見えます。


 本来人間様のソサエティを表す人間関係という言葉がまるで人造人間社会という言葉に置き換わって立派に機能しているかのようです、。

 会社同士も株を持ち合ったりして支配しあったり、暗黙の了解事項を取引資産などとして所有してつつがなく経済活動を行なっています。



法人が法人を支配【しあう】世界、じゃあ、人間様はどこにいるんだ?

これってマルクスの人間疎外どころの話じゃないんじゃないのか?少なくともマルクスは人造人間の支配までは言っていなかったぞ!

(ーー)



 長くなりましたのでまたにしますが、私がライブドア事件ホリエモン事件として、つまり人間様の事件としてのみ扱うのに非常に納得が行かないのはこの為です。


 ライブドア事件を経営者の人間的な資質や行為に帰責するのは、こういった現代資本主義の状況をあまり考慮に入れてないようにみえてしょうがないのですが・・・


 それはまた整理してから戻ってきて扱う主題とします。


ではでは、まだまだ続きます


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