ヴェニスの商人の法人論2
それでは、おとめのエッセイを続けます(^^)
さて、ミリンダ王たちの楽しい問答があった北インドから、今度は舞台をイタリアへ移します。
そうです、表題のヴェニスです。
なお、本日引用しますのは岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』ちくま学芸文庫 および、その中で引用されている福田恆存と小田島雄志両氏のシェイクスピアの文章です。
まず、岩井さんによってヴェニスの商人の主だった人物が紹介され、すぐにそれぞれの人物が三つのグループに分割されます。
- 1,お互いが「兄弟的」な連帯によって結びあわされているヴェニスのキリスト教徒共同体
- ヴェニスの商人アントーニオ、アントーニオの親友のバッサーニオ、アントーニオの友人でロレンゾ−
- 2,キリスト教世界の中の異邦人であるユダヤ人たち
- 代表者シャイロック
- 3,美しき女性たち
- 莫大な遺産を残された貴族のポーシャ、その召使のネリッサ、シャイロックの娘ジェシカ
- 岩井克人氏のナレーション
- 登場人物をこのように三つのグループに区分けした途端に『ヴェニスの商人』という劇が、多元的で、それゆえにまさに動態的ともいうべき構造を持っているということが直ちに見て取れる。よく知られているように、『ヴェニスの商人』という劇は、相前後して展開される4つの物語によって構成されている。すなわち、?有名な人肉裁判において頂点に達するアントーニオとシャイロックとの間の対立抗争の物語、?3つの小箱によるポーシャの婿選びとバッサーニオの求婚の成功譚。?ジェシカとロレンゾ−の駆け落ちという脇筋、?そしてふたたびポーシャとバッサーニオとの間の指輪をめぐる茶番劇の四つである。(丸数字はゆっきー)
岩井氏により、このグループ相互のダイナミズムが、共同体や貨幣やその他の近代経済学やマルクス経済学の観点から考察されるのですが、それを適宜援用しつつ、このおとめのエッセイでは、一番ポピュラーでわかりやすい人肉裁判にフォーカスしたいと思います。
たとえばこんなふうに、シャイロックのようにはお金を貸さずに、会社に対して出資する投資家の話に翻案・・・。当然株式を51%以上握られれば出資を受けた会社は経営権が奪われるので、出資側にはそれなりの魂胆があるという設定です。
これまでの議論に引き寄せますと、法人名目説の場合には、会社構成要素はなんらかの構成部分に還元できますし、人体を切り刻むようにバラバラ殺人しても法人は死にはしません。
言い換えれば、人間の場合には人体の血を全部抜くと死亡しますが、法人は死なないので、旧い血を抜いて新しい人造人間作って転売するとか全然オッケーです。つまりシェイクスピア劇のように裁判の現場でのどんでん返しはこの仕掛では起きないことになってしまいます。
「証文通りにするがよい。お前のものである肉をとれ。だがその際、キリスト教徒の血を一滴でも流したら、お前の土地も財産も、ヴェニスの法によって国庫に没収する」
困ったことに、M&Aでは法人の価値をヒトのようには考えないので、この決め台詞が使えません。「買収するのはいいけど、300年にわたるこの老舗企業の暗黙知的な財産や伝統を壊してしまったら、今度はお前のファンドグループの全部の財産を没収するぞ!」とは言えないわけですね・・・
この投資家はもしかすると、必要な資金を提供しようと言いつつ最終的には会社を食い物にしてしまう、現代のシャイロックかもしれない!? っと、まあそんな筋立てです。
シェイクスピアの場合には、人肉1ポンドを証文通り取り上げるのはいいけれど、血液は一滴もとっては駄目だ、という論法によってシャイロックは負けてしまいます。
ところが!
法人名目説の会社の場合には、血液は別に抜いても平気だ(ーー)。
ということろで、シェイクスピアのプロットの根幹部分の仕掛けを変質、脱臼させることによって、現代のシャイロックは人肉裁判に勝てるかどうか考察してみたいと思います。
お付き合いいただければ幸いです(^^)/