【ライフハック本の特徴】2シリコンバレー精神親和性その15 自己啓発セミナーの倒錯的快楽

『音の風景』 ANNEX 自己啓発セミナーを受講した人は宗教的といえるような倒錯的な充足を経験し、直後に妄想的•躁的に元気になり、ある種の現実認識の麻痺を引き起こす。この自己啓発セミナーの倒錯的な充足と現実感の麻痺は、心理療法の技法によって起こる退行的経験を、特殊な体験として相対化してそれを現実認識のための一手段とするのではなく、退行的経験の方を転倒して「真実」ととらえることで構成される。こうして自己啓発セミナーは、これまでの宗教のような超越的な意味空間はもたないにせよ、やはりある種の絶対性•宗教性を形作っているといえるだろう。(以上引用)



 この文章には、なぜ自己啓発セミナーを受講した人が、家族や自分の友人知人、職場の同僚や取引先の人たちなど自分の周りの人に次々とセミナー受講を勧める理由が読み取れます。

 これがカウンセリングの場合、診察室で退行療法により自分の一面の真実に気がついたクライエントは、カウンセラーによって診察室を出るまでにその体験を現実に生かすためのイメージをつかみます。

 しかし自己啓発セミナーの場合、「退行的経験の方を転倒して「真実」ととらえることで構成される」ので、合宿が終わって「現実」社会に出た時に、セミナー中に経験したような「妄想的•躁的に元気」な多幸症的な体験が持続しないことに戸惑い、苛立ちます

 さらに、セミナー体験を揶揄されたり否定されたりすることによってその多幸症的な感覚は加速度的に薄らいで行きます。この時、セミナー受講者の内部の倒錯は外部に向かってベクトルの向きを変えるわけです。



 多分こんな感じ。

「私が経験した真実がこの世界では通用しない。しかし自己啓発セミナーでの体験は紛れもなく真実であった。だからこの偽物の現実世界を真実の世界(=自分がセミナー体験をした現実)に作り変えなくては自分自身のあの真実の体験が偽物の世界の中で薄らいで行き、すぐになくなってしまう。何とかしなければ!」



 まるでゆっきー自身が体験したかのように書きましたが(笑)、おそらくこんな焦燥感が受講者をリクルーターにするのでしょう。カルト宗教団体の信者もこうした心理的なメカニズムが作用して勧誘活動に走っているだろうことは想像にかたくありません。




 再び前掲書から引用します。

セミナーの倒錯的な快楽は、少ない場合は数日しか持続せず、また現実の中でその固有な体験を意味付けし記憶して持続させることが困難であり、結局倒錯的体験は外傷のように本人に刻印される体験として残り、むしろ人格統合的には困難をはらむ。


 ううむ(-。-; やれやれ…です。


 さてではこの自己啓発セミナーの倒錯的な快楽の危険は、セミナーを受講しなければ防げるのでしょうか?


 私はそうは思いません。

「わたしがありたいわたし」についての根拠を無限に再生産するだけのプロセスはむしろネット社会に溢れおり、私たちはその結果「◯◯疲れ」の状態にすぐに陥る危険性と隣り合わせです。
 そしてその「◯◯疲れ」は「記憶を失ったネット社会」において、「<個人情報「過」露出>に走らせたり、<個人情報「過」保護>に揺り戻したりするジレンマ」を誘発し、他者とのコミュニケーションの中から「正しく「記憶」すること」をさらにいっそう困難にしていきます。



 次回は再びそのネット社会のコミュニケーションの困難に焦点を当ててみます。記憶に残りにくいネット上のコミュニケーションが、「◯◯疲れ」を引き起こすことはすでに論じましたので、次回は「記録の過剰」について書きたいと思います。


 つづく(〃⌒▽⌒)ゞ