山岡淳一郎『成金炎上 昭和恐慌は警告する』日経BP社

ゆっきーのエッセイブログ




政界、財界をリードする金子直吉 重大なアキレス腱



 では池田成彬が主役なので池田視点になっている江上剛作品を離れて、公平を期すため、ちょっと別の本から時代と金子直吉を見てみましょう。



 「金子直吉五十二歳、人生の頂点にさしかかっていた。

 日本の国内総生産は第一次大戦が始まった一九一四年(大正三年)から、わずか五年間に約三倍に増え、工業生産高は五倍増を記録した。超高度成長を支えたのは「輸出」であった。その突破口を開いたのは金子直吉に他ならない

                    山岡淳一郎『成金炎上 昭和恐慌は警告する』p126







 前回引用した直吉の「国がやらねばならないことを鈴木がやったのだ。」の部分なのですが、大戦景気に沸いた日本経済の影にに金子直吉の、極めて実務的で政治力のある行動があったのです。



戦時保険と為替業務の障害の解消



です。



 横浜正金頭取の井上準之がお手上げ状態



保険会社が戦争で損失を被った場合、保険金の九割を政府が保証する補償令を、若槻礼次郎浜口雄幸に対して金子直吉が直談判して交付させた。これによって麻痺状態に陥りかけた外国為替業務が円滑に正常化します。





 台湾銀行に為替の取り扱いを認めさせる



輸出につきものの為替業務は、横浜正金と一部の財閥銀行が独占しており、貿易業者が為替を組むのに非常に時間がかかり、手数料も言いなりだった。これを解消。つまりスピード感のある金融の自由化です。もっともこの台湾銀行というのはいわくつきだったわけですが、とにかく第一次世界大戦の景気上昇にはこの方法が大貢献しました。







「こうして金子は戦時保険と為替業務の憂いを晴らし、輸出促進のお膳立てを整えたのである。

(中略)国際収支は黒字が続き、外貨保有高は一挙に六倍に増えた。日露の戦費調達で借金まみれだった日本は、一躍、債権国へと昇格する」前掲書p127



 そして前回引用のセリフ「大戦中には十五億もの外貨を獲得し、我が国を債権国に押し上げた。」ですが、日本全体でなんとなく達成したのではなくて、自分の会社で15億という発言だったのです。三井グループの売上高は10億円でしたので、15億とは実に三井グループの1.5倍にのぼるものでした。



 他にも、鉄の輸出を禁止してしまったアメリカに対して、鉄を輸入する代わりに船を作ってそれを特典として無償で納品するという「船鉄交換」交渉を政府に提案し、政府がどうしてもこの交渉を成立させることができないとなると、実際にアメリカ政府と交渉してこれを実現させてしまいました。



 しかしこの絶好調の業績の影で、まだ見えぬ鈴木商店コンツェルンのアキレス腱に気がつく者もいたのです。





鈴木商店が財閥のグループ経営と一番違う点それは・・・



金融ビジネスへの視点



です。



「若い世代からは、商社部門を株式会社に変え、株式を公開して広く資本を募り、経営にも多数決原理を取り入れるべきだ、との声が上がった」





鈴木商店が骨身を削って得た利益は、鈴木の利益として独占すべきであり、株主に配当するくらいなら銀行から金を借りるほうがましだ」(金子発言)





「株式会社は財務状況を株主に公開しなくてはならない。鈴木家と縁の薄い株主に口出しする機会を与えてしまう。金子は他人が経営の内側に入るのをひどく嫌った。特に財閥資本を警戒した。」





「若い社員は、三井や三菱のようにグループ内にしっかりした機関銀行を持って、資金供給を安定化させようとも提案した」



 若い社員の考えは取り入れられませんでした。





 この金融ビジネスへの無理解とも言えるかたくなな態度が、やがてあの三井銀行常務室での池田成彬との、自暴自棄とも、喧嘩とも、三井やエリート銀行マンに対する皮肉とも思えるやりとりにつながっていくのです。



 次回はこのあたりを中心に(^^)



 つづく

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