奥村宏『無責任資本主義』東洋経済新報社

$ゆっきーのエッセイブログ

 約束事=フィクションとしての有限責任〜その範囲について


 これまで、有限責任はフィクションだと書いてきましたが、ここでは世の中の決まりごとや社会通念といった、人間によって創りだされた制度(=フィクション)によって鏡にように映し出された瞬間に生成する応答するべき何物かが有限責任である、という曖昧な定義にしておきます。

 いづれ自己責任という概念や、責任性を成立せしめる人格の同一性という点からきっちり論及しますので、しばらくこのままお付き合いください(^^)/



 さて、責任が問われる場面というのは日常生活でも多々ありますが、この言葉はとても奥が深いと思います。

 例えば先日柄谷行人氏の『倫理21』という本を読んでいたのですが、この中で連合赤軍事件を起こした子供の責任をとって親が自殺するという事件が取り上げられており、柄谷氏はそれに対して非常に憤っていました。

 子供の責任を親が取るとういのは、確かに柄谷氏が感じたように、なんとなくおかしい。しかしそうは思っていても、なんとなく(そうです、なんとなく)ある場合にはそういうケースもあるし、ある場合には当然みたいに感じるときもなくはないです。

 例えば少年法で保護されている少年に刑事責任は大人と同じようには問えませんが、こういう場合には親の責任というのが問われやすいと思います。

 大人でも、酔っ払ってしくじったことに責任はあるのか、とかいうことを問題にしないといけない場合もあるし、何らかの理由で本人の責任が問えない心神喪失状態で、裁判で無罪になったけど世間は釈然としないケースなどもあります。

・・・

 責任問題は、それが自己責任であったとしても究極的には神ならぬ人間には無限には取りきれないものであり、もし無限に責任を負わないといけないのなら、何気ない一言で人が傷ついて自殺してしまったらそのことに対しても責任を取らないといけない。

 私はもし、本当にできうるのなら、そういう責任をとり続けながら一生を無限責任を引き受けるように生きていきたいと、まじでそう思っているのでありますが、現実問題としてやっぱり無理だな・・・と・・・当たり前ですが思った後しばらくしていつも静かに思います。

 できるだけ注意しながら生きていきたいですが、やはり有限責任というフィクションに逃れないとたぶん(少なくとも今の私では)社会生活そのものが成り立ちません。それでも多分立派に成り立っている小林秀雄みたいな人が現代でもいると思うので、そういう人はぜひあたしにアメブロメッセージください。ぜひぜひお友達になってください(爆)

 このあたりは冒頭書きましたように、項を改めます。それか、無理だったら小説ブログの方で何とか登場人物使って書いてみるかなあ(遠い目)。



 ・・・と考え始めるといろいろ難しいのですがひとつ言えることは、責任というのは、有限的な人間が対処せねばならない不確かな未来=無限に対して、有限下の状況の中で決断し、行為するためにどうしても必要な未来(無限)を一部射程に入れた高度の倫理性を帯びた「範囲の限定」であるということでしょう。

 ゆっきー語なのでわかりにくくてすいません。かなり推敲したのですが、現時点ではここが限界でしたので、これもまた(苦笑)。


 以上、前置きが長くなりましたが・・・



 奥村氏の明快な言葉だとこうなります。

「責任の主体と客体について、すなわちだれが誰に対して責任を持つのか、ということを問題にしなければならない」
            奥村宏『無責任資本主義』東洋経済新報社 P187



 これを会社を論じる文脈でみてみたいと思います。



Responsibilityという英語を責任というように日本語では訳しているが、これは政治的責任とか社会的責任という場合に使われている。語源的には、相手の呼びかけに対してこちらが応答するという意味で、応答しなければ無責任だということになる。

主として会社の政治的責任、社会的責任、あるいは道徳的責任を問題とする場合に使われる。」





「これに対して株式会社において全社員が有限責任であるという場合の責任はLiabilityである。このLiabilityは会社の債務に対して株主が有限責任、すなわち出資分だけ責任を負うというものであることはいうまでもない。

会社の債権者、銀行の場合には預金者のような取引相手に対する責任という意味に使われる。」





「もう一つ、Accountabilityという言葉がある。これは会社の株主に対して、経営者が財務内容などを知らせる責任があるというような場合に使う。

 一般に財務内容のディスクロージャーという形で問題にされるが、株主に対するディスクロージャーということは現在の株主に対してだけでなく、将来株主になりうる人に対してもなされなければならない。なぜなら株式を公開している会社ならば誰でも株主になりうるからである。」


                   以上本書P186-189を要約的に抜粋


 


 とりあえず、この三つに分割するのは定説なので、以下これにそってさらに責任概念を考えたいと思います。


 つづく