【ライフハック本の特徴】2シリコンバレー精神親和性その14 あぶないセミナー?

 ウェブ社会の思想―“遍在する私”をどう生きるか (NHKブックス)/日本放送出版協会
 たとえばある人が、自分は親からの虐待が原因でアルコール依存症になった、と語るとする。いわゆる「アダルト・チルドレン」と呼ばれる、育成環境のゆがみによって、現在の不都合が生じているとする症例だが、ではその「虐待」が、偽りの記憶によって生成された自己物語であったとすればどうだろう。

 患者の親が「そんな虐待の事実はない」と考え、それに対して患者が「あの出来事こそが自分のトラウマになったのだ」と主張する。これと関連するのが、「偽記憶症候群」と呼ばれる現象だ。

 これは、アメリカ社会におけるセラピーの流行によってアダルト・チルドレンに関する推例や研究が増えてくるとともに注目されるようになった現象で、カウンセラーとの対話を通じて、クライアントが、実際には体験したことのない「親からの虐待の記憶」を語り始め、そのことで家族関係などにトラブルが生じてしまうというものだ。

 人びとは自分の物語を、ときとして偽りを交えながら生成し得る。その根拠となっているのは、記憶と記録のループ関係にも現れる、自己物語を生成する主体の欲望であろう。その欲望する主体が盲点化されるとき、自己物語は、「わたしがありたいわたし」についての根拠を無限に再生産するだけのプロセスにしかならない。では、その盲点化されてしまった「わたし」は、どこへ行ってしまうのか。(以上引用)





 さてどこに行っちゃうんだろう(>_<)

 というところなのですが、上記の例はうまく行かなかった精神科医との関わり方ですが、話をもっとわかりやすくするために極端な例を考えてみます。 

 その極端な例の一つには「自己啓発セミナー」という出口が待っているように思います。偽りの自分探し、究極の閉じた共同体内承認システムかもしれません。

 『ウェブ社会の思想』の精神科医の例も、自己啓発セミナーにも良いものも悪いものももちろんありますので、簡単にわが国における最近の自己啓発セミナーの流れを整理した上で、この記事で取り上げる自己啓発セミナーを定義しておこうと思います。




『音の風景』 ANNEX 日本で自己啓発セミナーが隆盛した80年代には、すでに社会的共同体は完全に失われてナルシズム的個人主義が確立しており、セミナーの技法が照準する存在論は、共同性=社会性の再構築というより、まったく新しい退行的な共同性を人工空間に生み出して、そこに自己を幻想的に囲い込むようになった。
 70年代には残存する社会的共同生を支えに自己確立と社会再編を目指した同じ技法が、80年代には共同性の完全な不在の下で「全能の」自己の能力に幻想的に従属するセミナーの擬似共同体を生み出し、主体はその非日常的な擬似的•倒錯的共同性を宗教的な真実と錯覚し、しかも真の自己がそこにあると思い込むのである。(以上引用)


 抽象的な文章ですが、ここで80年代的なセミナーとして筆者が言わんとしていることは、その80年代に活動を始め、やがて日本を恐怖のどん底に落としたカルト宗教団体をその極端な例として思い浮かべていただければそうはずれていないと思います。

 ということでこのシリーズでは自己啓発セミナーという言葉をこの80年代的なカルトセミナーとします。良いセミナーを開催してらっしゃる方、参加してらっしゃる方には誤解なきようお願いいたします。




 この自己啓発セミナーでは『ウェブ社会の思想』で懸念されたように「自己物語は、「わたしがありたいわたし」についての根拠を無限に再生産するだけのプロセスにしかならない」という事態が現実のものとなります。



 次回この事態についてもう少しみてみます。

 つづく(〃⌒▽⌒)ゞ