ヴェニスの商人の法人論9
「ねえ、堀木くん」
堀木は放心状態でソファに座っていた。
シャイロック2.0はというと、忙しく国際電話をしている。
デーブスペクターの怪しい流暢な日本語ではなく、抑揚は抑え気味だがリズミカルでテンポが恐ろしく早い英語だ。
ボストンの上流階級の社交界の気取った紳士淑女か、もしくはウォール街の経済ヤクザエリートが使うようなその英語は、堀木にもユキコにも完全には聞き取ることができず、それが二人の不安をいっそうつのらせていった。
「ねえ、堀木くん」
ユキコはたまらずに、今度は堀木の膝に手をやって揺すってみた。
「ああ、ごめん、何だい」
堀木は努めて作り笑いで答えようとしたが、顔は緊張でこわばっていた。
「今の話なんだけど」
「うん」
「お父さんがいいって言うこと前提になっちゃってるけど大丈夫なの?」
シャイロック2.0の特許地上げ計画(ヴェニスの商人の法人論8へジャンプ)は、話としてはあり得ると思ったけど、あくまでも世界に通用する特許を保有している堀木の父親が、その特許を使ったビジネスモデル、シャイロック2.0の思惑にイエスと言わなければ絵に描いた餅にすぎない。
「心配あらへん。おやじはな、実は俺には一切頭上がらへんのや」
「何でなん?あたしそれ聞いてもええのん」
「ああ、身内の恥やけどな。事実なんだからかめへんで。」
「う…ん」
堀木は父親が友人の連帯保証人となって借金取りに追われ、そこから逃れるために猛烈に無理な仕事をし、その中で母親に八つ当たりしたり、飲み屋のホステスに騙されて金を家から持ち出したり、母親がそれを苦に自殺未遂したことなどをたんたんと語った。
「弟たちの面倒見ながら、おかんのその後のケアしたりとかな、全部俺がしてん。親父は現実から目を背けるようにして特許の開発に没頭して行きよった。特許より大事なものがあるの分かっててな」
ユキコは静かに頷いた。
第一印象で本当はユキコは、堀木の変貌ぶりに驚いたのだった。
あの天然の人懐っこさはそのままだったけど、万事に隙のない、こう言ってよければ人を基本的に信用しないことを信条としているような、世界との明確な距離感のある眼差しをしていた。
堀木はそんな目で自分の転校してからの生い立ちを由紀子に話した。
空白の距離は埋まりもせず、かといって広がりもしなかったけど、さっきサヨナラと言った時のあの懐かしい堀木は消えてなくなっていた。
人は変わる。でも変わらないものってなんだろう・・・
ユキコは寂しさをこらえながらそっとホテルの窓から外を見た。